再発と治療の話(長い) [眼とか食とか健康とか]
2022年9月の話です。
2021年の手術からきっちり1年後、
再発しました外陰がん。
定期的に診察は受けていましたが、ある日、お風呂に入っていた時「なんか、例の、おできっぼい、皮膚の色が部分的に白くなる白斑ができてないか?」と気づきまして。
鏡で見てみたら「これは…」と思う腫瘤があるじゃないですか(目視できるんよ)。
え、先月の検査では問題なかったのに。
次回の診察は1か月後。
それまで待たないほうがいいだろうと、無理言って予約をねじ込み検査したところバッチリ出ましたがん細胞。
え一、え一、え一……再発かよ~~!!!!
術後も痒みが続いていたこと、「ちょっと気になる変異核があるけど、炎症反応かも…」と言われていたことで「やっぱり?」って思っちゃった。
その変異核とやらが、がんにレベルアップしたってことなのかな。
がんの治療は3本柱。
①外科治療つまり手術。悪いところを切り取る。
②放射線治療。患部に放射線を照射してがん細胞を死滅させる化学療法。
③抗がん剤。がんが身体中に広がって手術では取りきれない場合、血液がんのように局所療法の適応ががないなど、幅広い適応あり。
再発の場合再度の切除手術は行わず次の治療に進むため、放射線と、その効果を高めるため並行して抗がん剤もやることになりました。
今は大豆程度のこの腫瘍のためにそんな大掛かりな治療やる必要あるんだろうか…
でも外陰がんってつまり皮膚がんなので範囲が広い。
がん細胞を地引網漁のように一網打尽にするには抗がん剤が有効なんだろうけど。
まず「あの、髪、抜けますよね」と言っちゃった…
そしたら「まあ、9割の人は抜けますね。でもまた生えますから」って…ええええ〜。
正直言って、再発したことより「髪が抜ける」ってことの方がよほどダメージ大きかったよ!!!
じゃあ「抗がん剤やりたくないです」って言えるかというと…
言えないじゃんよ〜
それに抗がん剤は「元気な患者」にしか使えない。
だって劇薬だから。
あーもう今やるしかないのか。
・
なんの下調べもせずに治療計画の説明を受けたので「放射線治療は7週間。毎日」「抗がん剤は2泊3日の入院を毎週、6回」と言われ仰天しました。
7週間(土日休みだから正確には35日)毎日通院?
点滴なのに2泊3日の入院???
か、会社どうしよう?と一瞬思いましたが、どうもこうも、治療はやるしかないしなんとかするしかないじゃん…会社にはあとで説明することにして「できるだけ早く治療始めたいです」とスケジュール調整お願いしました。
幸いというかなんというか当時の職場がとってもヒマだったので「7週間毎日早退」「金曜日は欠勤」でなんとかなりました。
でもこれが「なんとかなった」のは、病院が自宅と職場の経路上にあったからです。これで病院が逆方向だったら詰んだと思う。
大きな病院が通いやすい場所にあるということはとてつもない幸運なんだとしみじみ。放射線治療なんて、隣の県から通ってる人いましたしね…(毎日だよ〜)
・
抗がん剤のこと
点滴になんで2泊3日もかかるんだ??と思いましたが、とにかくかく本数が多くて…
点滴。ずーっと点滴。
木曜の午後に入院してタ方6時まで点滴、金曜は朝7時から夕方5時まで点滴。
士曜も朝7時から11時半まで点滴(木曜と金曜は合間に放射線治療も)。
ソルアセトF(電解質輸液)、ソルデム3A(電解質輸液)、グラニセトロン、デキサート(吐き気予防)、シスプラチン(抗がん剤)、マンニットール(利尿剤)、ソルアセトF(電解質輸液)×2
抗がん剤そのものは2時間ほどですがが、その前後の点滴は準備と排出って感じ。
電解質で体を整え、次は体に入った抗がん剤をできるだけ迅速に排出する。
せっかく入れた薬をなんで流さなきやあかんのやとも思いますが、それだけ強い薬だってことなのかな。
抗がん剤点滴中に具合が悪くなることはなかったけれど、開始直後にトイレに行こうとしたら「しばらく動かないで!」と言われたり、車椅子に乗れと言着われたりした。点滴開始して即具合が悪くなる人もいるんだそうです。
私の使った薬は腎臓ヘのダメージがが大きいとかで、それを防ぐためにとにかく水分を摂るように言われました。
毎邇2リットルのアクエリアスゼロ持参で入院してたよ…このうえ腎不全なんかなりたくない。
私が使った「シスプラチン」は脱毛リスクの少ない薬で、髪はぜんぜん抜けなかったです。
それと、以前は強い吐き気の副作用があったそうですが、良い吐き気予防の薬がどんどん開発されているそうで、それを使ったので吐き気もなかった。ありがてえ~。
副作用は、とにかくものすごい怠さ。
4クールくらいまではiPadに映画をダウンロードして観ていたけど、次第に怠くて起きていられなくなり、点滴中はずっとウトウトしてる感じ。
だるい。1秒でも横になりたい。
7週間、家事はなにもできず、家ではひたすら寝てました。
こんな状態で毎日会社いってた自分、偉すぎる!!!
・
放射線治療の話。
放射線治療室は「リニアック」と呼ばれていました。
予備知識ゼロで治療が始まったのでいろいろ驚きの連続。
事前にまず「位置決め」。
放射線を当てる箇所を決めてマーキングする作業です。
そのマーキングってのがが、マッキ一みたいな(というかマッキー)極太油性ペンで、体に縦横や丸を書き込むというとってもアナログで…
「線が消えないよう、お風呂でこすらないでくださいね、って……
あと、毎日同じポーズを再現できるよう、足の形に合わせて足乗せ台を作りました。
処置台に患者が残され、放射線技師さんが隣の部屋からマシンを操作しつつ「始めます~」「台が動きます~」と声をかけつつの治療。
リニアックはほんと~に至れり尽くせりで、丁寧な治療をしてもらいました。
患者があふれかえってる外来と違って、待合室で誰かと一緒になることもほとんどなく、いつもシーンとしてる。
每日通うからスタッフさんみんな「久居さんこんにちは」と名前で声かけてくれる。
技師さんはみんな男性だけど必ず女性の看護師さんが立ち会ってくれたし、バスタオルを何枚も使って肌が見えないよう気を使ってくれました(スカートのままでOKだけど下着はずらしてる)。
リニアック専門の看護師さんが「いつでも相談してください」と携帯の番昘教えてくれたり。
後日とあるプログでどこぞの病院のリニアックが「男性技師の前で、カーテンもない場所で服を脱がなければならず、バスタオルもガウンもなしで処置台に乗る数歩がほんとうに惨めだった」って記事を見つけてびっくり。
まあ、10年以上前の記事だったけどひどすぎでは??
放射線治療、なめてかかっていた私が甘かったんですが、担当看護師さんから「皮膚炎になりますから」「できるだけ患部を刺激しないように」「保湿大事」とさんざん言われていても、治療は痛くもゆくもないし「楽勝」と思っていました。
途中まで。
20回を超えたあたりからヒリヒリした痛みが出てきて、軟膏を塗りつつやり過ごしていたのですが、30回目で肌が突っ張るような感覚があり…
そっから先はあっという間。
足の付け根あたりの柔らかい皮膚の部分がべロリと剥がれて(!!!)しまいました。ひー。
治療開始時から「男性用トランクスを腰パン状態で穿いたほうががいいですよ」と言われていたんですが、こういうことか……!とようやく納得。
いやもう見た目が酷くて、ちょっと人に見せられないのが残念なくらい酷かった。
日サロ行ったんか?と思うくらい皮膚も真っ黒になったし、当分温泉行けないなあと。
そんな状態で放射線治療35回完走。
技師さん看護師さんと「お世話になりました~」「頑張りましたね!」と会話を交わしつつ終わりましたが、花束でも渡してほしい気分でしたよ…
当時はコロナが花盛りで(実は今の方がすごいけどテレビで全然報道しないからね…)病棟から出るのは禁止だったんですが、リニアックは病棟から一番遠いところにあるので、私は外来をかき分けて院内周遊…
途中で院内コンビニ寄っておやつなんか買っていたけど、今思えばやっちゃダメだったのかなあ。
・
で、放射線皮膚炎。
この皮膚炎にはその後1ヶ月苦しめられたので、正直言ってそれが一番つらかったです。
放射線科経由で皮膚科に院内予約を入れてもらい、35回目終了後にその足で皮膚科に行き薬を出してもらいました。皮膚科も女性医師だったのありがたい。
軟膏をプレンドしたステロイドで割と弱めだけど、陰部にも使用可だったから敢えて弱くしたのかな……。
この時助けられたのが「デルマエイド」というハイテクガーゼ。
すごい吸収力なのに傷口にまったくくっつかない。
くっつかないから剥がす時に痛くない。
すごい。
そのぶん高価で1枚180円もする(売店で買ってねと言われ、つまり全額自己負担)。
2週間、ステロイドとデルマエイドをお守りのように持ち歩いてました。椅子も階段も痛かった。
しばらくお風呂も入れずシャワーのみで、真冬だってのに湯船に浸かれない。寒い。辛い。
皮膚炎の度合いは照射場所によって違うので、つまんで引っ張れるような柔らかい皮膚の場所は炎症がひどくなると思います。
いやまだ冬だからよかったけどね!
夏に一日中ジクジクと剥がれた皮膚から浸透液が染み出してる状態だったら耐えられないかも〜。
でも服の外からじゃそんなの全くわからないわけで。
そりゃねえ、自分から「股間付近の皮膚がベロンと剥がれててめっちゃ痛いんです」なんて言うわけないし、言われなきゃわからない怪我や病気や障害があるんだな…と心に留めていただけたら嬉しいです。
9月に再発して、10月から12月に治療して、現在。
治療箇所の色素沈着もだいぶ薄れてきました(黒いけど)。
がん細胞は見当たらず、手術後ずっと気になっていた痒みもなくなり、白斑も消えて…とりあえずは一安心なのかなあ。
治療で限度ギリギリの放射線浴びちゃったから、次に再発したらもう放射線治療はできません。
数年後に晩期放射線合併症が出る場合もあるそうで、そうなったらその時のことです。
あんまり先を考えるのはやめようと思って。
気になる治療費ですが、高額療養費制度+αです。
3ヶ月分、外来と入院で別会計だから30万弱ですかね…でも健保組合から15万くらい戻ってきたから、20万はかからなかった。
高額療養費制度もどんどん制度が変わっていて、標報83万円以上だと上限額252,600円+(医療費-842,000)×1%ですって…ええええ…
年収1000万でも、6ヶ月入院したら医療費180万、外来と入院の合わせ技だとその倍って無理ゲーじゃないですか。
毎月毎月、何十年も社会保険料をあれだけたくさん払ってきて「お金がない」なんておかしいよ。
私らの収めた保険料どこに消えたんや…
マイナ保険証の強行導入は皆保険撤廃の前哨戦だと思ってます。
外資の生命保険会社に儲けさせるために、亡国日本の最後の砦「国民皆保険」が邪魔なんでしょう。
DV男みたいな本邦の政府がポイントばら撒いてカードを作らせようなんて裏があるに決まってるじゃないっすか。
私はマイナカード持ってないけど、確定申告もネットから簡単にできるから必要ないです。
「ネットでの確定申告にはマイナカードが必須」は嘘です。なくて大丈夫。
・
治療中は「お酒厳禁」だったんですが、厳禁もなにも気持ち悪くて食欲すらないのにお酒なんて全然飲みたくなくて、3ヶ月も飲みませんでした。
飲みたいな〜と思ったのは治療終わってしばらく経ったクリスマスの頃。
お酒が美味しいって素晴らしい。
がんという病気で痛いとか辛いとか具合悪いとかは全くなく、痛いのも辛いのも具合悪いのもすべて治療です。
その段階で病気が見つかったからこそ治療できるわけで、健康診断受けていれば大丈夫ってことにはならないです。
外陰がんは100万人に5〜10人のレアながんで、治療法も確立されていないし、生存率のデータもないんです。
聞くところによると、高齢者の患者が多いため辛い治療しない人も多いのだとか。
「外陰癌は婦人科癌の中でも稀な疾患であり、国内でのガイドラインは存在しないのが現状である」と産科婦人科学会のレポにも書かれている。
なので、同じ病気の人の参考になればと思って書きました。
ちょっとでも「おかしいな?」と思ったら検査しましょう。
それが最初の一歩ですよ〜
2021年の手術からきっちり1年後、
再発しました外陰がん。
定期的に診察は受けていましたが、ある日、お風呂に入っていた時「なんか、例の、おできっぼい、皮膚の色が部分的に白くなる白斑ができてないか?」と気づきまして。
鏡で見てみたら「これは…」と思う腫瘤があるじゃないですか(目視できるんよ)。
え、先月の検査では問題なかったのに。
次回の診察は1か月後。
それまで待たないほうがいいだろうと、無理言って予約をねじ込み検査したところバッチリ出ましたがん細胞。
え一、え一、え一……再発かよ~~!!!!
術後も痒みが続いていたこと、「ちょっと気になる変異核があるけど、炎症反応かも…」と言われていたことで「やっぱり?」って思っちゃった。
その変異核とやらが、がんにレベルアップしたってことなのかな。
がんの治療は3本柱。
①外科治療つまり手術。悪いところを切り取る。
②放射線治療。患部に放射線を照射してがん細胞を死滅させる化学療法。
③抗がん剤。がんが身体中に広がって手術では取りきれない場合、血液がんのように局所療法の適応ががないなど、幅広い適応あり。
再発の場合再度の切除手術は行わず次の治療に進むため、放射線と、その効果を高めるため並行して抗がん剤もやることになりました。
今は大豆程度のこの腫瘍のためにそんな大掛かりな治療やる必要あるんだろうか…
でも外陰がんってつまり皮膚がんなので範囲が広い。
がん細胞を地引網漁のように一網打尽にするには抗がん剤が有効なんだろうけど。
まず「あの、髪、抜けますよね」と言っちゃった…
そしたら「まあ、9割の人は抜けますね。でもまた生えますから」って…ええええ〜。
正直言って、再発したことより「髪が抜ける」ってことの方がよほどダメージ大きかったよ!!!
じゃあ「抗がん剤やりたくないです」って言えるかというと…
言えないじゃんよ〜
それに抗がん剤は「元気な患者」にしか使えない。
だって劇薬だから。
あーもう今やるしかないのか。
・
なんの下調べもせずに治療計画の説明を受けたので「放射線治療は7週間。毎日」「抗がん剤は2泊3日の入院を毎週、6回」と言われ仰天しました。
7週間(土日休みだから正確には35日)毎日通院?
点滴なのに2泊3日の入院???
か、会社どうしよう?と一瞬思いましたが、どうもこうも、治療はやるしかないしなんとかするしかないじゃん…会社にはあとで説明することにして「できるだけ早く治療始めたいです」とスケジュール調整お願いしました。
幸いというかなんというか当時の職場がとってもヒマだったので「7週間毎日早退」「金曜日は欠勤」でなんとかなりました。
でもこれが「なんとかなった」のは、病院が自宅と職場の経路上にあったからです。これで病院が逆方向だったら詰んだと思う。
大きな病院が通いやすい場所にあるということはとてつもない幸運なんだとしみじみ。放射線治療なんて、隣の県から通ってる人いましたしね…(毎日だよ〜)
・
抗がん剤のこと
点滴になんで2泊3日もかかるんだ??と思いましたが、とにかくかく本数が多くて…
点滴。ずーっと点滴。
木曜の午後に入院してタ方6時まで点滴、金曜は朝7時から夕方5時まで点滴。
士曜も朝7時から11時半まで点滴(木曜と金曜は合間に放射線治療も)。
ソルアセトF(電解質輸液)、ソルデム3A(電解質輸液)、グラニセトロン、デキサート(吐き気予防)、シスプラチン(抗がん剤)、マンニットール(利尿剤)、ソルアセトF(電解質輸液)×2
抗がん剤そのものは2時間ほどですがが、その前後の点滴は準備と排出って感じ。
電解質で体を整え、次は体に入った抗がん剤をできるだけ迅速に排出する。
せっかく入れた薬をなんで流さなきやあかんのやとも思いますが、それだけ強い薬だってことなのかな。
抗がん剤点滴中に具合が悪くなることはなかったけれど、開始直後にトイレに行こうとしたら「しばらく動かないで!」と言われたり、車椅子に乗れと言着われたりした。点滴開始して即具合が悪くなる人もいるんだそうです。
私の使った薬は腎臓ヘのダメージがが大きいとかで、それを防ぐためにとにかく水分を摂るように言われました。
毎邇2リットルのアクエリアスゼロ持参で入院してたよ…このうえ腎不全なんかなりたくない。
私が使った「シスプラチン」は脱毛リスクの少ない薬で、髪はぜんぜん抜けなかったです。
それと、以前は強い吐き気の副作用があったそうですが、良い吐き気予防の薬がどんどん開発されているそうで、それを使ったので吐き気もなかった。ありがてえ~。
副作用は、とにかくものすごい怠さ。
4クールくらいまではiPadに映画をダウンロードして観ていたけど、次第に怠くて起きていられなくなり、点滴中はずっとウトウトしてる感じ。
だるい。1秒でも横になりたい。
7週間、家事はなにもできず、家ではひたすら寝てました。
こんな状態で毎日会社いってた自分、偉すぎる!!!
・
放射線治療の話。
放射線治療室は「リニアック」と呼ばれていました。
予備知識ゼロで治療が始まったのでいろいろ驚きの連続。
事前にまず「位置決め」。
放射線を当てる箇所を決めてマーキングする作業です。
そのマーキングってのがが、マッキ一みたいな(というかマッキー)極太油性ペンで、体に縦横や丸を書き込むというとってもアナログで…
「線が消えないよう、お風呂でこすらないでくださいね、って……
あと、毎日同じポーズを再現できるよう、足の形に合わせて足乗せ台を作りました。
処置台に患者が残され、放射線技師さんが隣の部屋からマシンを操作しつつ「始めます~」「台が動きます~」と声をかけつつの治療。
リニアックはほんと~に至れり尽くせりで、丁寧な治療をしてもらいました。
患者があふれかえってる外来と違って、待合室で誰かと一緒になることもほとんどなく、いつもシーンとしてる。
每日通うからスタッフさんみんな「久居さんこんにちは」と名前で声かけてくれる。
技師さんはみんな男性だけど必ず女性の看護師さんが立ち会ってくれたし、バスタオルを何枚も使って肌が見えないよう気を使ってくれました(スカートのままでOKだけど下着はずらしてる)。
リニアック専門の看護師さんが「いつでも相談してください」と携帯の番昘教えてくれたり。
後日とあるプログでどこぞの病院のリニアックが「男性技師の前で、カーテンもない場所で服を脱がなければならず、バスタオルもガウンもなしで処置台に乗る数歩がほんとうに惨めだった」って記事を見つけてびっくり。
まあ、10年以上前の記事だったけどひどすぎでは??
放射線治療、なめてかかっていた私が甘かったんですが、担当看護師さんから「皮膚炎になりますから」「できるだけ患部を刺激しないように」「保湿大事」とさんざん言われていても、治療は痛くもゆくもないし「楽勝」と思っていました。
途中まで。
20回を超えたあたりからヒリヒリした痛みが出てきて、軟膏を塗りつつやり過ごしていたのですが、30回目で肌が突っ張るような感覚があり…
そっから先はあっという間。
足の付け根あたりの柔らかい皮膚の部分がべロリと剥がれて(!!!)しまいました。ひー。
治療開始時から「男性用トランクスを腰パン状態で穿いたほうががいいですよ」と言われていたんですが、こういうことか……!とようやく納得。
いやもう見た目が酷くて、ちょっと人に見せられないのが残念なくらい酷かった。
日サロ行ったんか?と思うくらい皮膚も真っ黒になったし、当分温泉行けないなあと。
そんな状態で放射線治療35回完走。
技師さん看護師さんと「お世話になりました~」「頑張りましたね!」と会話を交わしつつ終わりましたが、花束でも渡してほしい気分でしたよ…
当時はコロナが花盛りで(実は今の方がすごいけどテレビで全然報道しないからね…)病棟から出るのは禁止だったんですが、リニアックは病棟から一番遠いところにあるので、私は外来をかき分けて院内周遊…
途中で院内コンビニ寄っておやつなんか買っていたけど、今思えばやっちゃダメだったのかなあ。
・
で、放射線皮膚炎。
この皮膚炎にはその後1ヶ月苦しめられたので、正直言ってそれが一番つらかったです。
放射線科経由で皮膚科に院内予約を入れてもらい、35回目終了後にその足で皮膚科に行き薬を出してもらいました。皮膚科も女性医師だったのありがたい。
軟膏をプレンドしたステロイドで割と弱めだけど、陰部にも使用可だったから敢えて弱くしたのかな……。
この時助けられたのが「デルマエイド」というハイテクガーゼ。
すごい吸収力なのに傷口にまったくくっつかない。
くっつかないから剥がす時に痛くない。
すごい。
そのぶん高価で1枚180円もする(売店で買ってねと言われ、つまり全額自己負担)。
2週間、ステロイドとデルマエイドをお守りのように持ち歩いてました。椅子も階段も痛かった。
しばらくお風呂も入れずシャワーのみで、真冬だってのに湯船に浸かれない。寒い。辛い。
皮膚炎の度合いは照射場所によって違うので、つまんで引っ張れるような柔らかい皮膚の場所は炎症がひどくなると思います。
いやまだ冬だからよかったけどね!
夏に一日中ジクジクと剥がれた皮膚から浸透液が染み出してる状態だったら耐えられないかも〜。
でも服の外からじゃそんなの全くわからないわけで。
そりゃねえ、自分から「股間付近の皮膚がベロンと剥がれててめっちゃ痛いんです」なんて言うわけないし、言われなきゃわからない怪我や病気や障害があるんだな…と心に留めていただけたら嬉しいです。
9月に再発して、10月から12月に治療して、現在。
治療箇所の色素沈着もだいぶ薄れてきました(黒いけど)。
がん細胞は見当たらず、手術後ずっと気になっていた痒みもなくなり、白斑も消えて…とりあえずは一安心なのかなあ。
治療で限度ギリギリの放射線浴びちゃったから、次に再発したらもう放射線治療はできません。
数年後に晩期放射線合併症が出る場合もあるそうで、そうなったらその時のことです。
あんまり先を考えるのはやめようと思って。
気になる治療費ですが、高額療養費制度+αです。
3ヶ月分、外来と入院で別会計だから30万弱ですかね…でも健保組合から15万くらい戻ってきたから、20万はかからなかった。
高額療養費制度もどんどん制度が変わっていて、標報83万円以上だと上限額252,600円+(医療費-842,000)×1%ですって…ええええ…
年収1000万でも、6ヶ月入院したら医療費180万、外来と入院の合わせ技だとその倍って無理ゲーじゃないですか。
毎月毎月、何十年も社会保険料をあれだけたくさん払ってきて「お金がない」なんておかしいよ。
私らの収めた保険料どこに消えたんや…
マイナ保険証の強行導入は皆保険撤廃の前哨戦だと思ってます。
外資の生命保険会社に儲けさせるために、亡国日本の最後の砦「国民皆保険」が邪魔なんでしょう。
DV男みたいな本邦の政府がポイントばら撒いてカードを作らせようなんて裏があるに決まってるじゃないっすか。
私はマイナカード持ってないけど、確定申告もネットから簡単にできるから必要ないです。
「ネットでの確定申告にはマイナカードが必須」は嘘です。なくて大丈夫。
・
治療中は「お酒厳禁」だったんですが、厳禁もなにも気持ち悪くて食欲すらないのにお酒なんて全然飲みたくなくて、3ヶ月も飲みませんでした。
飲みたいな〜と思ったのは治療終わってしばらく経ったクリスマスの頃。
お酒が美味しいって素晴らしい。
がんという病気で痛いとか辛いとか具合悪いとかは全くなく、痛いのも辛いのも具合悪いのもすべて治療です。
その段階で病気が見つかったからこそ治療できるわけで、健康診断受けていれば大丈夫ってことにはならないです。
外陰がんは100万人に5〜10人のレアながんで、治療法も確立されていないし、生存率のデータもないんです。
聞くところによると、高齢者の患者が多いため辛い治療しない人も多いのだとか。
「外陰癌は婦人科癌の中でも稀な疾患であり、国内でのガイドラインは存在しないのが現状である」と産科婦人科学会のレポにも書かれている。
なので、同じ病気の人の参考になればと思って書きました。
ちょっとでも「おかしいな?」と思ったら検査しましょう。
それが最初の一歩ですよ〜
「九月、東京の路上で」加藤 直樹 [本]
Twitterでレビューが流れてきて即購入。
…お若い方、もしや永井豪先生の「デビルマン」(テレビアニメじゃなくて、漫画のほうね)をお読みになったことのない人も多いのかと思いますが、あの名作は全人類修復してほしい。
私はある程度大人になってから読みましたが、子ども時代にあれを読んでいたら一生もののトラウマになると思う。
「九月、東京の路上で」は、1923年関東大震災における朝鮮人虐殺の証言集です。
これがもうルワンダ内戦と並ぶ「リアルデビルマン」で…
20世紀の日本の首都でこんな惨劇があったなんて。
関東大震災の時、「朝鮮人が井戸の毒を入れた」というデマが流れ、混乱のままそのデマを信じた一部の人たちが朝鮮人に危害を加えた…知識としてはぼんやりと「そういうことがあった」のは知っていましたが、市井の人の証言の数々は重みが違う。
当時の子どもたちが描いた絵も多数掲載されていて、これがまた拙いぶんリアルで…
東日本大震災の時に、また「そういうこと」が起こるのではないかと言われていて、その時は「21世紀の日本でそんな馬鹿な」と思ったけど、「そういうこと」はいつどこででも起こり得るんだ。
30年前のルワンダで、100年前の日本で、驚くほど同じなりゆきでごく普通の民間人が虐殺に加担し、それを誰にも止められない。
プロパガンダと差別と煽動で少しずつ育った種が、何かの拍子にポンと破裂して飛散するように虐殺が始まり、昨日までの隣人がナタで襲ってくる。
21世紀の日本で同じことが起こらないなんて誰に言えるだろう?
殺されるのも殺すのも自分かもしれない。
あの牧村美樹ちゃんの首を切り落とした「近所の人」みたいに。
・
小池百合子は都知事就任翌年の2017年以降、関東大震災朝鮮人虐殺追悼式典への追悼文を拒否しています。あの石原慎太郎さえ送っていたというのに百合子…
私世代が子どもの頃は少女漫画誌に当たり前のように戦争マンガが掲載されていた時代で、私たちはそれを読んで「戦争」を学びました。
学ぶこと、知ること、語ることが「当たり前」だったし、それを否定する人は少なくとも私の周りにはいなかった。
それが、ここ最近になってそういう体験や記録を「嘘だ」「捏造だ」「ソースを示せ」と否定する層がどんどん増えてきてるのは恐ろしいことです。
当時の新聞や裁判の記録も山ほどあるというのに、東京都知事みたいな人が撒いた種が何年もかけて芽吹いてきたってこと?
歴史を学ぶことをしないなら、私たちはまた同じことを繰り返すよ。
・
今の東京でこのクラスの災害が起きたらと思うと恐ろしい。
私はデビルマンやバイオレンスジャックの世界には生きたくないです。